♪ 永遠の意味 知らぬ君に こたえを示すときだ~
といったのは産屋敷耀哉氏。
彼は「永遠とは人の想いだ」と言っていた。
以下は私なりの解釈というか最近考えていたこと。
目標が「永遠の命」なのか「鬼を倒すまでの永遠の道のり」なのかで違ってくるんだけど、「永遠の命」は一人の中の問題なので放置。
「鬼を倒す」ことを目標とした道のりは永遠とも思えるが、悲しいかな人の命は短い。
どうしよう…となったときに命に限りのある人間は「次につなぐ・たくす」ことを考える。
自分と同じ志をもち同じように修行して実力のある人に「今自分が持っている情報や志を引き継いでいく」。コピーなので必ずしも原本と同程度にならないかもしれないのがつらいところだが、それでも大体同じベクトルを向いている仲間、同じものを大事だと思っている仲間につなげていく。
人と情報と剣技がうまくくみあわさったときに鬼は倒せるだろう・・・みたいな。
だから自分の持っている技術や情報を周囲に還元しないのはよろしくない。
別に鬼退治だけではなく、普通に仕事してるときもそうでしょう? 情報は一元化と管理そして更新と随時フィードバックが大事。
そういうDNAがあるからなのか、人は「教える」ことがわりと好きなんじゃなかろうか。
子供に教える、後輩に教える・・・子供だと出来不出来があっておしえたことをすべて吸収してくれるとは限らないので、他人にも教えたい。
今、それが答えを結果をださなくてもいいのです。
この先新たな情報が手に入ったときに化学反応を起すようにジグソーパズルがパタパタと埋まってみたこともない光景が広がっていくことを夢見ているのですよ。自分以外の誰かが見ればそれでよいのです。
鬼舞辻無惨、きみは1000年もの間、何を考えていたんだい?