Amazonで映画『ロスト・ケア』を観た。
松山ケンイチと長澤まさみが出てたヤツ。
ずっと気になってたけど介護中は見れなくて。
※以下役名は覚えてないので役者さんの名前で書くけど置き換えてね
いやいや…介護リアルタイム中に見なくて正解
母とはもちろん見れなかったし、一人で見てたらどどんと落ち込んで使い物にならなかっただろう。
みにつまされるどころではない
介護経験者で松山ケンイチを非難する人は…いるのかな、やっぱ。
松山ケンイチに極刑を求める「遺族団体」のメンバーに実際に介護に携わっていた人が何人いるのだろう…と鬼のようなことを思ったり。
傍聴席から「人殺し! お父さんを返せ!」と喚いてる人には「ホンマに返したれ…」と思ったし。
その人は絶対に亡くなったお父さんとは同居してない。
カシオミニをかけてもいい。
難しい問題なんだけど…生き物は必ず死ぬ。
年を取ったらあちこちにガタが出てくるのも当り前。
独身でも結婚していても子供が何人いてもいつかは「ひとりになる」可能性は忘れちゃいけない気がした。
成人して家を出た子供はもうそこで「自分の生活」を作り上げているのである。
いくら実の親でもそこに入ってこられるとそれまで成り立っていた子供の生活はガタガタに狂っちゃうのである。
それは親も子供もしっかり認識しておくべきよ。
そのうえで介護や看取りについても話し合っておいた方がいい。
何回同じ話題で話してもいい。
冒頭に出てくる「自分がしてほしいことを誰かにしてあげなさい」という聖書の言葉。
まさにこの言葉どおりのテーマである。
どの介護家庭も「被介護者の死」を積極的に望んでいることなんてない。
「今の生活がいつまで続くのか」「今の状態はいつ終わるのか」ということは毎日考えていても。
私は祖母の介護をしていたとき母に「階段の上でぐずぐずいってるおばあちゃんを、私が後ろから軽く押したらお母さんはどうする?」と尋ねたことがある。鬼畜。
母は「気持ちはわかるけどそれはアカン アンタがそれをするというのならお母さんはそれを阻止する」といった。
母は結婚当初から祖母にいびりたおされていたので、私より祖母に思うところはありそうなものだったが、その母が「アカン」というならしゃーない。
祖母からはキツク当たられていた私は我慢した。
まぁ、我慢できたのは、介護をしていたといっても私は副担当であり、主担当は母であったからだ。
それでもクラブ活動をやめて、授業が終わったら速攻で帰宅する日は多かったし「なんで私が…」とはしょっちゅう思っていた。
妹はおばあちゃん子だったが、私はうとまれっ子だったから。
映画の中で松山ケンイチは認知症で老いた父親を殺していた。
父親だけではなく、父親の死後介護職について担当していた41人(47人だっけ)をも殺していた。
最初の父親のことが事件になることなく「ほかの介護家族を救ってあげよう」と思ったから。
長澤まさみはバリバリの検事で母親は自分で貯めた年金を元でにホームにはいっており少しボケてきているようだ。
両親は彼女が小さいときに離婚しており、別れた父親は孤独死していたのが2か月後に発見された。
父親から何度か娘に連絡があったが彼女は無視していた。
だから彼女は母親の介護は施設に丸投げ、父親は野垂れ死にさせてしまったことに罪悪感を感じている。
それでも検事という立場上、自分の状況をあきらかにすることなく松山ケンイチに極刑を求刑している。
法曹関係者なら、事実に従って下す当然の答えなんだろうけど。
でもそれはその法曹関係者が自身で介護などしたことがないから下せるのだ。そして介護経験者であったとしてもそれはそれで私情を挟んだ答えになるから法律に従った「心のない答え」しかだせないんだと思う。
松山ケンイチは貧乏で老父を施設に預けることはできなかった。
長澤まさみは検事という職業をもっていて、母も自ら自分の貯めてきた資金で施設に入ると言い出したので、同じ介護生活でも全然違う。母親を施設に入れることについても罪悪感は感じていなかったのではないかと思う。母親はなにも言わなかったから。娘に「ひとりで暮らすのは寂しい」とは言わなかったから。
だから、どれだけ想像してみても、長澤まさみには松山ケンイチの気持ちはわからない。
松山ケンイチは老父に対して積極的な殺意をもっていたわけではない。
時たま意識が正常になる老父に「殺してくれ、お前の世話になっているのはつらい」と泣かれるのである。
これはつらい。
ここから老父殺害に至ったとしても、私は松山ケンイチを責める気持ちにはまったくなれないのである。
「同じ立場になったら私もそうするかもしれない」と思うだけで。
子供の頃の「親」は絶対的な存在である。
大きくて、守ってくれて、頼りがいがある。頼りがいがあった。
それが老いるにしたがってピンボケになっていき、わけのわからないことを言ったり勝手な行動をするようになる。
そんな親を見守る子供の気持ちなど・・・実際に介護したことのある人にしかわからんのだ、ホンマ。
「これまで当たり前にできていたことができなくなる」というのが子には認められず腹立たしい。
こんがらがってトンチンカンなところに着地してしまうものを責められたところで、本人にだってどうすることもできないんだよ。
私たちはどうしたら、どんなふうに準備したらいいのだろうね。
生きて死んでいく身としては、どちらの立場にもなる可能性があるのだから考えておいて損はしない。
安楽死や尊厳死の前にそっちも考えないとだめなんとちゃう?