自分のことだけで言うと、もうじき63になる私であるが、50~62までの13年間は実母、14~21までの8年間は祖母が認知症であった。
まぁその期間ずっとぶっちぎりの認知っぷりではなかったにせよ「なんか普通と違うなぁ」と思うことの多い時期だったということだけど。
実母の介護は実母なので「まぁ仕方ないよね」という気持ちがあったのと身体介護の度合いが低かったのであまり苦労したとはいえないのだけれど、祖母の介護(メイン介護者は母)の頃は中学生~短大生だったとおシモの問題炸裂で、準ヤングケアラーっぽい立場にいたのだった。
クラブ活動をやめて学校が終わったら直帰するとか、休みの日に自由に予定を入れることができない程度の不自由だったけど。祖母の時のほうがつらかったし「なんで私が!?」と思っていた。
そんなこんなで「認知症介護生活」が20年にわたるわけです。あほらしい。こんなばかげたことがあってたまるか。でもあるんです。
指折り数えてボーゼンとしたよ。20年。生まれた子供が成人式やん。
大家族で、年老いた人々が衰えていくのを見ながら生活することが当たり前ではない時代に、こんなことを背負わせるのはアカンと思うのよ。「年を取るとこんな風になるのね」と漠然と知ってて認知症と対面するのと何も知らずに対面するのとでは天と地ほどの違いがある。どこかに「ああ老いたのだな」というあきらめの気持ちがないと認知症の介護なんてやってられないのである。これまでできてたことができなくなるのがあたりまえ、やり方を忘れてしまうのが当然の世界なんである。「なんでわすれちゃったの?」なんて聞く方がおかしいのである。
でも、20年である。考えてみるとその20年の間は自由に動くことはできなかった。介護に縛り付けられている状態でもなかったけど自由に動くことは許されていなかった。なんかかわいそうだ。
世の中には義理の親と実の親と祖父母と。5~6人介護しているお嫁さんというのも存在する。小さい子供と実母のダブル・トリプル介護の人も存在する。自分の20年がめちゃくちゃ大変だったというつもりもない。それでも「20年てなんだったんだろうなぁ」「自由に動ける20年だった自分は何ができたんだろう」と思うことはある。
とりあえず、くやしいからこの先20年は自分の好きなことをすることにした。